アロハー!
ハワイを訪れた事がある方なら誰もが見たことであろうこの銅像、皆さんはこの方についてどれくらいご存じですか?
いつも両手にレイをたくさん持っているので、この銅像を初めて見る人でもこの方がとってもアロハな人だったと言う事がわかります。
今日はこの銅像のモデルとなったハワイを語る上で、アロハシャツの歴史を語る上で欠かせない、ハワイの英雄デューク・カハナモクとアロハシャツへの影響についてお話しします。
では早速スタート!
始めに
本日ご紹介する情報やエピソードはアロハシャツの歴史と言えばこの人と言われるデール・ホープ(Dale Hope)のThe Aloha Spiritという本を参考にしています。
日本語版も発売されていたそうですが、今ではかなりレア物らしいのでもし見つけた方はすぐに購入をオススメします。
では今度こそスタート!
どういう人?
デューク・パオア・カハナモク(Duke Paoa Kahanamoku)はハワイの伝説的著名人。
実は彼のファミリールーツを辿ると、あのかの有名なキング・カメハメハまで行きつくといわれています。最初この情報を知った時、私は素直に「お~!」と思いましたが、本を読み進めて行くと直ぐにそんな情報(失礼 笑)どうでも良くなるくらい、デューク・カハナモクは数々の伝説を持っています。彼は水泳チャンピョン、サーフィンチャンピョン、俳優、ビジネスマン、更には公務員としての顔を持ち、ハワイの、アロハシャツのプロモーションに多大なる貢献をした偉大な方なのです。
生い立ちと水泳
まずは水泳選手として世界にその名を轟かせたデュークは、1890年に、9人兄弟の長男として生まれました。
いきなりちなみにですが、冒頭のデューク・カハナモク像があるのはワイキキのカラカウアストリートですが、彼が生まれた当時、ハワイを治めていたのはキング・カラカウアでした。
良く世界的ピアニストとかが、音楽を始めたのは3歳で~とか聞きますが、デュークの場合、水泳を始めたのが3歳。
彼の父親はスパルタだった様で、彼が覚えているエピソードでこの様な物があります。
「父親と叔父にカヌーで海に連れられ、そこで海に放り込まれてしまい、自力で泳がなければ、、、」
う~ん、今だったら虐待だ~とニュースになってましたね。
しかし、そのかいもあってか、デュークはメキメキと水泳の腕を上げ、独自の泳ぎ方(クロールの派生?)も開発し周りを圧倒しました。
デビューそして伝説へ
デュークが水泳選手としてデビューしたのは1911年のHawaiian AAU Swimming and Diving Championships。
デュークはホノルルハーバーで100ヤードを55.4秒で泳ぎきり、当時の世界記録を5秒近く縮める大記録を打ち出しました。
この大会で彼はその他2つのフリースタイルで世界記録を破りました。
これは少年漫画で見る展開ですね笑
デュークの水泳伝説はまだまだあります。初めて金メダルを獲得したのは翌年1912年のオリンピック。8年後、30歳の時にアントワープ・ベルギーオリンピックで自身が持つ100メートルの記録を破り、再び金メダル。1924年のパリでは僅差で敗れ銀メダルとなりました。
サーファーとして
1マイル以上続けて波に乗ったという記録で知られているくらい、デュークはサーフィンの神様として知られています。
今でこそサーフィンは世界的人気スポーツですが、一時期宣教師達がサーフィンを禁じた事もあって当時はまだまだマイナースポーツ。
むしろサーフィンは「王族のスポーツ」としてハワイの皇族から愛されてきたスポーツで、一般市民の間ではまだそこまで浸透していませんでした。
このサーフィンの発展に大いに貢献したのが何を隠そうデューク・カハナモク。
冒頭で紹介した銅像の写真にも見れるように、彼の後ろには大きなボードがあります。
彼のボードはカリフォルニアのレッドウッドから自身で作り、サイズは驚きの16フィート(約4.8メートル)で重さ126パウンド(約57キロ)。
サーフィンの伝道者としてデュークはハワイ内外、アメリカの東西海岸やオーストラリアの海で初心者にサーフィンを教えました。
何百を超えるサーフィンの生徒の中にはなんとイギリスのエドワード王子もいます。
デュークはサーフィンはオリンピックの種目であるべきだと信じ、1920年にオリンピック委員会に提案します。
その他サーフィンの大会で欠かせないのが、1965年に始まり、1985年にBillabong Proに置き換わるまで続いたDuke Kahanamoku Invitational Surfing Championship。当然モダンサーフィンの父と呼ばれたデューク・カハナモクから名付けられた大会です。この大会では、Invitational、招待とついている通り、世界中からチャンピョンたちがハワイのノースショアに招待され、サーフィンのスキルを競い合います。この大会はCBSによってカラー放送された初のサーフィン大会でした。
人命救助
大会以外でデュークを語る上で大事なのが人命救助の功績。
彼がニューポート・カリフォルニアの海にいた際、たまたま近くの沖で29名ほどのせた釣船が沈没している所を発見します。
デュークと彼のサーファー仲間たちは懸命に救助し、29名の内、17名の救助に成功。デュークはサーフボードを駆使して8名救助しました。
俳優・公務員として
これだけアスリートとして成功しているのですから映画業界がほっておく訳がありません。
デュークが俳優として活動を開始したのは1922年。俳優として30近くの作品に出演しました。
有名な映画で言うと、あの超大物俳優ジョン・ウェインとThe Wake of the Red Witch (1948年)で共演しました。
デュークの活動はそれだけにとどまらず、公務員としての活動も1934年より12期連続でホノルル市の保安官として当選。
そして、ハワイが1959年にアメリカの50番目になった後、「アンバサダー・オブ・アロハ」に任命されます。
アンバサダーとしてデュークがおもてなしした人のリストにはエリザベス女王、エルビス・プレスリー、ベーブ・ルースなどといった誰もが知っている著名人が名を連ねます。
ファッションプロモーター、アロハシャツプロモーターとして
これだけ成功していて、人望も熱い人ですから、凄まじい影響力があった事は間違いありません。
もしデュークが現代で生きていたらトップインフルエンサーになっていたでしょうね笑
第二次世界大戦が始まる少し前の当時、子供、大人関わらず、男子の間ではシャツのテールの部分をズボンからダランと出す事が流行っていました。
暑いハワイですから、その事自体は理解されていましたが、見栄えが悪いと思ったデュークはテールを切ってしまえと提案します。
白、もしくはクリーム色の生地のシャツに、胸ポケットにエンブレムがついているシンプルなデザイン、そして先程言った長くはみ出るテールの部分を切ったシャツ、これがハワイアンスポーツシャツの始まりと言われています。
ついに馴染みのある名前が
ここでアロハアウトレットで扱っているアロハシャツをご存知の方なら馴染みのあるブランドが登場します!
1937年に、後にKahalaとなるBranfleet社とデュークは「Designed by Duke Kahanamoku, world champion swimmer. Made in the Hawaiian Islands」(世界チャンピョンスウィマー、デューク・カハナモクによりデザイン。メイドインハワイ)と書かれたアロハシャツとビーチウェアを是認する、5年間のエンドーサー契約を結びました。
エンドーサーとしては更に、1949年から12年間、ニューヨークとカリフォルニアに拠点を置く、Cisco Casualsが製造するアロハシャツのエンドーサーとなり、アメリカ本土中を周り、アロハシャツの普及に多大なる影響を与えます。
ちなみ検索した所、この当時のCiscoのアロハシャツは現在ネットオークションサイトで$500近い値段で売られていました。ひゃ~。でも欲しい~笑
最後にちょっとだけ商品紹介
流石に$500は手軽に買えませんが、幸いアロハアウトレットではちょっとだけ関連している商品を取り扱っています笑
Kahala デュークスパレオ・アイボリー・コットン
https://www.alohaoutlet.com/jp/ja-jp/itemdetail.aspx?iid=40815&CatId=0
こちらのデュークスパレオ、先程話しにでたカハラの商品だし、アロハシャツでデュークといったらデューク・カハナモクしかいないので絶対昔デュークがエンドーサーをしていた名残で名付けられたシャツだと思います。
少し調べて見たのですが正確な情報はみつからず、、、
それでもデザインは昔からハワイで馴染みのあるデザインなので、この記事を読んで少しでもデューク・カハナモクに興味を持ってもらえたら是非チェックしてみて下さい。
このアイボリーが今年一番人気でしたが、この他の色もあります。
サーファーレッドとか
https://www.alohaoutlet.com/jp/ja-jp/itemdetail.aspx?iid=33460&CatId=0
ワサビカラーとか
https://www.alohaoutlet.com/jp/ja-jp/itemdetail.aspx?iid=35571&CatId=0
デュークスパレオはカハラの主力商品であるため、ラインナップチェンジがよくあります。
ファンの方、コレクターの方は目が離せませんね!
少し長くなりましたが、ハワイのレジェンド、デューク・カハナモク特集いかがでしたか?
今後はブログペースがちょっと落ちるかもですが、この様なちょっとリサーチが必要ですが、よりアロハシャツやハワイの知識を深める事が出来る記事をどんどん書いていきたいと思います。
ではまた次回のアロハな特集でお会いしましょう!
マハロー!